有名だけど行ったことがなかった修禅寺に行きました。 宿の新井旅館は創業明治5年で建物の多くが国の登録有形文化財に指定されているとのこと。 文化人との交流が多く、安田靫彦設計の天平大浴場、横山大観のアトリエとして使われた別棟など、旅館の中だけでも見るところがたくさんあります。 泊まった部屋は高浜虚子滞在の間でした。 眼福だったのは修禅寺宝物殿の小さなケース。 空海が独鈷杵で岩を打ち砕いて湧出させた温泉として、 "独鈷の湯"と呼ばれて来た修善寺温泉の修禅寺裏山から 昭和36年に本当に独鈷杵が出て来たのだそうです。 驚いたことでしょうね。 宝物殿に飾られている独鈷杵は古式で空海所持にふさわしいものでした。 同時に出土した銅製香炉は4足という珍しいもの。 そして径10cmほどある緑釉の盃と盃台は六器なのだそうです。 以下の参考資料は「伊豆修善寺町の仏教遺物」より 新着通信を更新しました。新着通信をご希望の方はGALLERYのページをご覧ください。
前回の「京橋日本橋ここはどこシリーズ」の店舗は
古美術おおたにさんでした。 中国美術他、仏教美術等をお扱いです。 吟行会に参加して駒場公園の旧前田家本邸に初めて行きました。 百万石大名の前田家16代当主前田利為侯爵旧邸。 昭和4年から5年にかけて 竣工された建物だそうです。 シャンデリアなどは当時のまま、 壁紙や絨毯、カーテンなども復元されて公開されています。 豪華な部屋々とは対照的な、でも居心地の良さそうな 六畳間の女中部屋や使用人部屋がやけに印象的で、 女中部屋を詠んだ句が二つもありました。 www.city.meguro.tokyo.jp/gyosei/shokai_rekishi/konnamachi/michi/rekishi/hokubu/kyumaeda.html 新着通信を更新しました。通信をご希望の方はGALLERYのページをご覧ください。 京都に泊まるときには必ず一杯だけいただきに寄る
酒陶 柳野さん。 知らずに扉を開けたらそっと閉めて逃げて帰りたくなるような 超お高そ〜な、お洒落〜な雰囲気ですが、 毎回行きたくなるのは気取らない柳野さんのお人柄のおかげです。 一人でも行けちゃうバーがある幸せ。 コロナで影響を受けている事でしょう。 折しも「目の眼」は京都の美術館特集です。 京都にお出かけの折には是非お寄りください。 しまなみ海道を渡って大山祇神社へ。 境内には"大山祇神社のクスノキ群"のご神木のせいか、 他の神社とはちがう空気の重たさのようなものがあります。 紫陽殿という宝物館には源平の武将が奉納した鎧兜や刀が展示されており、 ひときわ素晴らしい頼朝と義経の甲冑が向かい合わせに置かれていて、 いまだ緊張感が漂っているようでした。 国宝館(旧宝物館)は、うす暗く、古い展示ケースには痛んだ甲冑がずらりと並び、 無言の武将に見下ろされているようで恐ろしい。 新着通信を更新しました。新着通信をご希望の方はEXHIBITSのページをご覧下さい。
金沢文庫では広島県の浄土寺の宝物を中心に 聖徳太子信仰にまつわる展覧会が開催されています。 如意輪観音は聖徳太子の生まれ変わりという説があるということで、 アートフェアで展示した如意輪観音懸佛も出品されていますので、 是非おでかけください。 http://www.planet.pref.kanagawa.jp/city/bunko/tenji.html 偶然にも、尾道にでかける用事があって浄土寺を訪れることができました。
国宝の鎌倉時代の多宝塔(左)、見上げるほどの堂々たる平安時代の宝塔(重文:右上)鎌倉時代の宝篋印塔(重文:右下)があり、名刹ぶりが伺い知れます。 境内に金沢文庫の展覧会のポスターが貼られていました。 宝物館の扉は閉まっていましたが、念の為社務所で伺うと、 なんと、残っているものだけでよければ、とわざわざ開けてくださいました。 宝物館には金澤文庫にお出かけ中の聖徳太子が収まっていた、鎌倉や室町の大きな厨子のほか、 平安時代のたおやかな木彫大日如来(珍しく胎蔵界金剛界両方)の坐像があり、十分な見応えでした。 参加させていただいている吟行会で新宿の太宗寺に行きました。 閻魔の斎日には、年に一度の御開帳で閻魔堂が開放され 閻魔像、奪衣婆像が拝観できます。 いずれお会いする閻魔様にその節はよろしくと、あらかじめご挨拶するのだそうです。 巨大な閻魔像、奪衣婆像は怖いというよりちょっとユーモラスでしたが、 本堂で展示されていた観無量寿経曼荼羅は当麻寺の当麻曼荼羅を写したものだそうで、 江戸時代の作ながら見ごたえのある一幅でした。 また、同じく江戸時代の作者不明の十王図もとても手のいいもので、 「新宿ミニ博物館」と呼ばれているというのも納得です。 ![]() 十王図部分。 地獄の池で妖虫に襲われる罪人たち。 気の毒ですが、虫が面白い。 ![]() 阿弥陀経曼荼羅部分。 居並ぶ諸仏の後ろ頭がかわいい。 後ろから見ると頭光はこうなるのか? 画家の苦労がしのばれます。 旅する交換会の今回の開催地は花巻。 いい温泉を堪能し、翌日は会企画のツアーに参加させていただきました。 上の写真は毛越寺庭園。下の画像は中尊寺、鎌倉時代の旧覆堂と顔成就院宝塔(平安時代)です。 中国からのツアー客にガイドさんがなにやら詳しく解説していました。 中国語がわかったらなぁ。 中尊寺も毛越寺も和楽の取材で行った以来です。(→和楽旅録) 讚衡蔵(宝物館)の展示も含め、相変わらず素晴らしい。 なお願成就院は、2年前に同じ交換会のあと訪ねた伊豆の願成就院と頼朝つながりで関係があるらしく感慨深い。 http://kakei-blog.cocolog-nifty.com/blog/2017/01/post-b524.html もう一か所、お願いして以前から行きたかった松川二十五菩薩堂をコースに入れてもらいました。
入り口では管理をなさっている方と、杖をついたご老人が私たちを待っていてくださいました。 階段を上がって堂内が見えてくると、一同「おぉ」と、どよめきました。 堂内にはため息が出るほど美しい二十五菩薩の残欠が並んでいます。 全て頭部を失い、施されていた漆箔もわずかに残る程度ですが、そこにあることだけで尊く、ありがたい。 下の戸棚には、小さく壊れて再現できない残欠がひとつひとつ丁寧に紙に包まれ保管されていました。 これらの仏像は中尊寺か毛越寺のものであったという説もあり、 また大水の後、お堂ごと流れ着いたという話も伝わっていると教えていただきました。 いただいたリーフレットには、松川に住んでいた三平という信心深い男が 大洪水の後、救いを求める声を聞いて雨戸を開けると沢山の仏像が流れ着いていたのを見つけ、 大事に洗いきよめ、お堂を建てて祀ったという伝説が紹介されていました。 絵巻になりそうなお話です。 入り口で待っていてくださった優しい笑顔の杖のご老人は、三平さんのご子孫でしょう。 きっと三平さんそっくりなのでしょう。 美しい季節になりました。 画像の桜は千葉県芝山の観音教寺の境内の枝垂桜です。 おとなりの「芝山町立芝山古墳・はにわ博物館」を拝観したあと、 受付の方に、近くに他に資料館がないかうかがったところ、 観音教寺の博物館を教えていただきました。 お寺の中に広い展示室があって、びっくりするほどたくさんの埴輪が展示されています。 昭和30年代にお寺のご住職の強い意志のもと、早稲田大学考古学とともに 近隣の古墳の発掘調査をし、出土した遺物を展示しいるのだそうです。 埴輪が古墳ごとに強い特徴を持つことも面白かったです。 金工品等の出土資料も展示されています。 芝山町立芝山古墳・はにわ博物館 https://www.haniwakan.com/index.html 観音教寺芝山はにわ博物館 http://niouson.or.jp/haniwa.html ![]() 芝山町立芝山古墳・はにわ博物館発行 「山田・宝馬古墳群」より 鴻巣市文化センター 埴輪がたくさん見たくて埼玉の埴輪のたくさんありそうな資料館、博物館をネットで探して見てきました。
鴻巣市文化センターの歴史民俗資料コーナーには、重文指定の生出塚埴輪などがずらりと並んでいます。 埴輪に付いていた剣や鳥なども展示されていて楽しい。入館無料。 埼玉県立歴史と民俗の博物館にも土偶なども含めたいくつかの展示があります。入館無料。 埼玉市立博物館にはさすがに数多くの埴輪が展示されていました。入館料300円。 新着通信を更新しました。新着通信をご希望の方はEXHIBITSのページをご覧下さい。 旅する交換会は今回は福岡でしたので、一泊して太宰府天満宮、九博、太宰府跡と 教えていただいた観世音寺を回ってきました。 折しも天満宮は満開の梅。観光客がたくさんいましたが、 韓国旅行に来たかと勘違いするくらい、聞こえてくるのは韓国語ばかり。 韓国の人にとっては最も近い外国なんですね。若い人も多くて楽しそうでした。 おとなりの九州国立博物館では常設展ほか、サントリーで前期を観た醍醐寺展の後期を観ました。 太宰府駅まで戻り、シティバスまでの時間があいていたので
徒歩で観世音寺へ。あとで貸し自転車が便利だったことを知りました。 観世音寺の宝物館の諸像は倒れるほどの素晴らしさ。驚きました。 宝物館にあきずに長々おりましたが、居合わせた老ご夫婦が、 戒壇院を予約しているから、、、とお話ししているのを聞いて、 不躾ながらお願いしてご一緒させていただきました。 天下三戒壇のひとつだそうで、鑑真がはじめて受戒をした場所だということです。 ひなびた堂内には藤原の盧舎那仏があります。 良洞村(ヤンドンマウル) 昨年(2018年)秋、慶州に行きました。 良洞村(ヤンドンマウル)はユネスコ世界遺産に登録された民俗村で 今でも両班の人が住んでいるそうです。 南山塔谷摩崖仏群 非常に歴史に詳しいガイドさんに恵まれて、効率よく回ってもらえました。 この大きな岩は南山石仏群のうち、塔谷摩崖仏像群と呼ばれるもので、 大きな岩の全面に、仏像や木塔が刻まれていて、 現存しない新羅の木塔の研究に役立っているのだそうです。 南山弥勒谷石造如来坐像 南山石仏群のうち、東麓に位置する弥勒谷石仏坐像です。 新羅時代の菩提寺があったところだということです。 この堂々とすがすがしい石仏の目の前には下のような景色が広がっています。 仏国寺 雁鴨池(アナプチ). 2万点もの仏教遺物などが発掘された雁鴨池。
935年の新羅滅亡時に宮殿が破壊され、美術品なども投げ捨てられたのだそうです。 想像していた雁鴨池とは真逆の雰囲気で、 出土品のレプリカを見るまで、連れてきてもらったここが雁鴨池と気づかなかった。 着いた時はすっかり日が落ちて、再現された楼閣がライトアップされ、 鏡のような水面に映る姿は非現実的。まあ、面白かったです。 新着通信を更新しました。新着通信をご希望の方はEXHIBITSのページをご覧下さい。 翌日は福島駅からバスで目的地へ。 目的地は、大きいの?小さいの?どっちなの? という小倉寺大蔵寺です。 バス停からこの看板までも、かなりの距離の上り坂です。 約束の時間に社務所で到着を告げると、ご住職は上でお待ちです、ということでした。 そそられる侘びた石段。 さらに続く侘びた参道。 石段の上に観音堂があり、本来ここにあった仏像のほとんどが収蔵庫に移されていて 3mの高さを誇る10世紀の千手観音像のほか、数多くの破損仏が収蔵されています。 下の画像は頂いたリーフレットより いそいで登っていくと、小杉放菴の描く良寛みたいなご住職が 大きな千手観音の脇に小さくぺたんと座って 先に来ていた拝観者にご説明をしていらっしゃいました。 本尊から始まって周りの破損仏の主だったものを丁寧にご説明くださり、 最後の仏像の説明が終わると、私たちのために最初から同じ説明をしてくださいました。 ご説明が終わるとニコニコとどこからですか?遠いところをよくいらっしゃいました、 というようなお言葉をかけてくださいました。 バスの時間に間に合わなくなりそうで、あわただしく失礼をすると、 「わしが長いことしゃべっとったから、、」と申し訳なさそうにおっしゃるので、 こちらも申し訳ない気持ちになりながら、バスまでの下り坂を大疾走しました。 同行の輩は私を振り返ることなく、どんどん前を走っていましたが、 横を過ぎていった車の人と窓越しに、何か話している。 車まで追いつくと、バス停まで乗せていってくださるとのこと。 なんと優しい福島の人々。おかげでバスに間に合いました。 モンドリアンみたいな水郡線。 12:20 福島発 東北本線
13:07 郡山着(待ち時間38分) 13:45 郡山発 水郡線(奥久慈清流ライン) 15:36 常陸大子着(待ち時間19分) 15:55 常陸大子発 17:14 水戸着 東京へ 2日目のほとんどは電車に乗っていました。 新着通信を更新しました。新着通信をご希望の方はEXHIBITSのページをご覧下さい。 遅ればせながら、本年もよろしくお願いいたします。 去年の夏の旅行の続きです。 いわき市考古資料館の後は、タクシーをで白水阿弥陀堂へ。 瀟洒なお堂は藤原清衡の娘、徳姫の建立だそうです。 白水阿弥陀堂という名前ではあまり馴染みがなかったのですが、 願成寺という名前は、資料でよく見ていた名前でした。 堂内が修復中で入れませんでしたが、格子の外から遠くに美しい三尊像が見えました。 灼熱のバス亭に10分もいると 本当にこのまま煮え死んでしまいそうな暑さ、 ゆらゆらと近づいて来るバスが神々しくさえ見えた。 バスの中は私たちだけのための超クール冷房車。たすかりました。 電車を待つ束の間、駅の食堂で軽食。磐越東線で郡山へ。
15:02 いわき発 磐越東線 17:19 郡山 (待ち時間27分) 17:46 郡山発 東北本線 18:32 福山着 8月の旅の目的は青春18切符を使う事。 一部誤解されていますが、 青春18切符は何才でも使えます。 一泊で帰って来られる場所の候補の中から 福島へ行く事にしました。 07:32 東京駅発常磐線 09:34 水戸着のりかえ(待ち時間31分) 10:05 水戸発 11:33 湯本着 (待ち時間27分) 12;00 湯本発 バス インターバルがたびたびあってもお昼には福島につきました。 タイムスケジュールは例の鉄オタまかせです。 考古に詳しいお客様から聞いていた "天冠はにわ"のある、いわき市考古資料館へ。 ああ、これが天冠はにわかぁ、と歩み寄りつつ感動しかけていると、 同行の輩が、「あ!複製って書いてあります」 と言うので、あわてて感動する気持を取り下げました。 あぶない、あぶない。 館内にいらした方に簡単な質問をすると、 館長を呼んで下さって、 この埴輪を見に来たのですと話すと、 大変丁寧に展示物の説明をして下さいました。 現物は地元の高校に保管されていて、 文化祭の時にだけ公開されるのだそうです。 まさにふわっと風がおこって、冠の先の鈴が揺れた一瞬を表現していると言われています、 というご説明を聞き、すゞやかな音が聞こえるような気がして レプリカでも無事感動できました。 天冠はにわの出土した古墳の近くにある
三角文様の壁画のある中田横穴の写真が展示してあります。 大震災では遺構そのものは無事だったものの、 展観のために作られた建物が崩れ、今は見られないのだそうです。 画像は頂いた冊子より。 新着通信を更新しました。新着通信をご希望の方はEXHIBITSのページをご覧下さい。 ![]() 上原美術館のあとに、前から行きたかった 「伊豆ならんだの里ー河津平安の仏像展示館」に行きました、 駐車場に車を止め、階段を上りますが、 これが山登りと言える程の結構な上り坂。 ところが登ってみると上に車がとまってる。 伺うと、今まで何回か転落した車があるので お勧めできませんとのことでした。 足腰が丈夫なうちにいらっしゃる事をお勧めします。 (お寺までの道は許可車両以外は進入禁止です) 展示館の手前にある南禅寺のお堂にあった仏像が展示されているのですが、 主にカヤ材を使用した9〜10世紀の平安前期〜中期の仏像が ずらずらと展示されています。 なぜ、こんなさぶれた山寺に、、とおもいきや、 この地にはかつては那蘭陀寺(ならんだじ)という 七堂伽藍を備えた大寺があったという伝承があり、 2012年には境内から塑像の螺髪が出土したそうで、 更に古い歴史の可能性を思わせます。 受付にいらした方(もしかしたらご住職?)はたくさんの資料をくださり、 丁寧にご説明くださいました。
夏休みは伊豆の別荘でのんびりいたしました。 と、いうのはもちろん冗談で、 ここは上原美術館の休憩ルームで、お茶やコーヒーもセルフサービスでいただけます。
昔、就職活動中におみくじを引いたら凶が出た衝撃以来、 ほとんどおみくじを引いた事がなかったのですが、 同行の友人の「凶がでたらそっから上がるばっかりだからいいじゃない。」 というポジティブなお言葉を受けて、なるほどと引いてみましたら 大吉でしたので、結ばずにお財布に入れておきました。 神社に行くまでは大回りをしたのですが、帰りは駅まで近道をして戻り、 巡回バスでフォッサマグナミュージアムと長者ヶ原考古館に行きました。 ![]() フォッサマグナミュージアム 古代の海ケース ところが、フォッサマグナミュージアムで眼鏡がない事に気付きました。 これから交換会があるのに、眼鏡がないと困ります。 神社に戻って探すと言うと友人は、私は横にいたから落としたらわかる、絶対神社じゃない、 神社に行ったらお昼の時間がなくなる、と執拗に説得されるのを振り払い、 一人神社に戻り、歩いた通りを歩き直しました。 駅からの遠回りの道をもう一度歩き、 奴奈川神社の前を再度回りましたがありません。 がっかりしながら、広い砂利敷きの境内をぼんやり見渡すと、 天津神社のお賽銭箱の石段から少し下がったあたりに、なにやら異物が。。 あったー! なくした事を思えば安い事なので、お礼にお賽銭を多めに追加して戻りました。 友人に、大吉の運を使っちゃったね、と言われて、
ホントにそうだと思いながら、おみくじを見直すと、 "失せもの出がたし 下にあり” と書いてある! 中々見つからなかった眼鏡はまさに神社の下(もと)にありました。 予言的中です。おみくじってやっぱりこわい。 新着通信を更新しました。新着通信をご希望の方はEXHIBITSのページをご覧下さい。 しばらくぶりの更新です。 遅くなりましたが青花の会にはたくさんの方にお出かけ頂きまして、ありがとうございました。 また大阪の地震で被害に遭われました方々にお見舞い申しあげます。 旅する交換会が糸魚川で開催されたので、 前から行きたかった奴奈川神社を訪れました。 奴奈川(ぬなかわ)は翡翠を産出する姫川のことで、 奴奈川神社には奴奈川姫、すなわち翡翠の勾玉の女神が祀られています。 糸魚川には奴奈川神社がいくつもあると聞いていたので、 事前に糸魚川の観光課に電話して確認しました。 糸魚川駅から歩いてほどない神社は清々しく美しい佇まいです。 社の前の案内板は文字が流れて読めません。 でも、なんとなくこのお社に奴奈川姫がいらっしゃるような気がしない。。 お社の後ろにまわってみると、大きな社に隠されるように小さなお社がありました。 なんの案内板もありませんでしたが、 奴奈川姫は絶対ここにいらっしゃる、と感じるお社です。 後で聞けば前の大きなお社は天津神社、天津神社の本殿の横に並ぶ小さなお社が 奴奈川神社なのだそうです。 大国主との神話で有名な奴奈川姫は、翡翠の一大産地を治める女帝と考えられていますが、 かわいい女神像のせいか可憐なイメージがあり、小さな奴奈川神社はそのイメージどおりのお社でした。 ![]() 奴奈川姫神像(非公開) 「奴奈川姫とヒスイ文化」土田孝雄著 より複写 お花見を兼ねた吟行に参加させて頂き、清澄庭園に行きました。 都指定名勝に指定されているだけあって、美しい。 荒廃していた庭地を岩崎弥太郎が買い取り、整備を重ねながら今の形になったのだそうです。 https://www.tokyo-park.or.jp/park/format/index033.html ![]() 偶然みつけた深川飯の老舗「みや古」。 のれんを入れ込むところを滑り込み、おいしいあさり飯を頂きました。 まさに聖地といった趣きの水分神社。 姿が見えずとも確かに鎮座する神の存在を感じます。 中庭を囲む社は、匣のようでもあり、両手で抱くようでもあり、 そこにある"気”は、重くはないですが、動かずそこにある。。 そんな気持になります。 参拝者はほとんどいません。 見晴し台に行って来たおじさんが足早に一回りし、 写真を何枚か撮って出て行かれました。 そしてまた静かな空気が降りて来ます。 |